俺のツインレイ~瞳の奥は嘘つかない~ by 悠景エスタライヒ

2014年の5月の終わりに出逢って以来、俺にとってずっと特別な存在のツイン!?の彼女。日々思うことを綴ります。HSPや発達障害、Kindle本についても語ります。

自分をカテゴライズするのは心の傷を癒すため?

人間関係などこれまで色々悩む度に、
「そうか、俺って◯◯だったんだ!」
という確認作業ばかりしてきた、大人になってからの俺。
20代半ば頃~神経症、ツインレイ(に出逢う人)、エンパス、HSP、発達障害(グレーゾーン)等々…
いつも自分をカテゴライズして、何処か安心していた俺。
「もうこれ以上は勘弁して欲しい!」
と思っていたが、もう一つ重要な、ある意味“俺の原点”ともいうべき事柄について再認識させられた。
それは、“左利き”である。


俺は物心ついた頃すでに、左で字を書いていた。
だから、左利きと言える。
しかしながら、箸はずっと右だ。
親に矯正された記憶もない。(もしそうだったなら、字を書く方も矯正されたはず)


ということは、俺は“両利き”なのか?
でも例えば、右で字を書いたり、左で箸を持つことはできない。
これは一体何なのか?
実は今まで、このことをそれほど気にしたことはなかったのだ。


どうして急に気になりだしたのかというと最近、“クロスドミナンス”という言葉を知ったからだ。
日本語に訳すと、“交差利き・分け利き”で、利き手が左右バラバラのことを指す。
俺のように、字は左で箸は右(逆もまた然り)の人を、
「あの人、クロスドミナンスなんだって!」
と言ったりするのだ。


俺は自分が左利きであることにコンプレックスを抱いたり、嫌だと思ったことはほとんどない。
だが、一つだけ今でも忘れられない出来事がある。
それは小学校の習字の授業だ。
さすがに毛筆を左手で持つことはできないので、習字の時だけ右手に持たされた。
もちろん普段全く右手で字を書いていないので、なおさら毛筆でうまく書けるはずなどなく、先生が俺の背後に回り込んで、後ろから俺の右手に覆いかぶさるように大きな男の手を乗せてきて、一緒に筆を持って強制的に字を書かされたのだ。


それまでの短い人生を生きてきて、一度も感じたことのなかった屈辱感を味わわされた。
当時感じたままの言葉を文字にするなら、
「俺って障害者なのか?」
と思った。
「なぜ何処も体が不自由じゃないのに、こんな仕打ちを受けなければならないのか?」
と純粋無垢な子供の俺は素直にそう思った。


その後中学校以降、習字の授業は無くなり、屈辱感を味わわされることは無くなったが、元々シャイな俺は思春期になっても内気なままだった。
授業で何かの問題を解く時に、答えを黒板に自ら書かなければならないことがあった時に、皆に左で書いていることを注目されたくなかった俺は、何故か普段はほとんど使わない右手にチョークを持って書こうとした。
こんな事を普通の人はしないだろうし、決してできないだろう。
まあそもそも、先生みたいに黒板に字を書くことに慣れていない中学生がたとえ利き手であっても、そんなにこなれた字は書けないと思うし、もとより左手でチョークを持って字を書くのは、右手ほど簡単ではない。
だから、どうせ左で書いても大して綺麗に書けないだろうから、咄嗟に右で書いたのだと思う。
しかも、それが出来てしまう不思議。
その時は別に凄いことをしたという認識はなかったが、今にして思えばこれこそが、クロスドミナンス的行動だったのだ。


前述のようにシャイな俺は、授業中に積極的に発言するようなタイプではなかったが、真面目に勉強していたので成績も割と良く、授業にはついて行けた。
ただ、先生に急に当てられると必ず一瞬緊張してしまい、僅かな”間”があってから答えを言う独特の癖があった。
これも咄嗟に言葉が出てこない、左利きの人の特徴だのだという。
右利きの人は主に言語などを司る”左脳”で考えてパッと言葉が出てくるのだそうだが、我々左利きは”右脳”も左脳も両方活用させて物事を思考したり、それを言葉に変換して口に出すという作業をしているらしい。
だからどうしても、言葉にするのに時間がかかってしまい、右利きの人よりも一瞬遅くなるのだという。


このことで思い出すのが、高校の同級生の言葉だ。
俺に、
「〇〇って、(先生に)当てられた時、いつも一瞬”ウッ”てなるよなぁ!」
と言っていた。
それは別に俺を揶揄うとか、そんな意図は感じられなかった。
ただ俺の、あの”間”を独特だと感じたのだろう。
これがまさに、左利き特有の”ワンクッション思考”と呼ばれるものだ。
左利きの人は、右脳と左脳の両方が活発に働いていて、双方の脳を繋ぐ”脳梁(神経線維のこと)”を通じて情報が頻繁に行きかう分、若干のタイムラグが生じて一瞬言葉が出てこないという現象が起こるとのこと。
人によってはそんな左利きの人が、どんくさく見えてしまうかもしれないが、とんでもない!
そう思う連中の何倍も優秀なコンピューターを我々は持っているのだから、左利きの人はもっと胸を張っていいと思う。


話が長くなり恐縮だが、つまり何が言いたいかというと、俺がずっと悩んできた自分の性格や気質、HSPやグレーゾーンの発達障害などの多くに”左利き”というものが多大な影響を与えていたんだということ。
さすがにツインレイだけは直接関係はないと思うが、色々な内面の問題に遭遇するたびに、最初は辛いがそれらと向き合うことで、俺は知らず知らずのうちに自分を受け入れることで自身を癒してきたんだなぁと、今になって思う。


これまでの人生、人間関係が苦手で緊張して汗だくになったり、音に敏感で繊細過ぎて苦しんだりで辛かった。
最後はこの左利きという俺の礎と言うべきカテゴリーときちんと向き合い、
「左利きに生まれて良かった!」
と思えるように人生を締めくくりたい。


最後におまけとして、そんな両利きというかクロスドミナンスの自分を再認識しつつ、ふと思いついた左右両手で黒板に字を書くショート動画をYouTubeアップロードしたので、宜しければ見て頂きたい。





相変わらず一瞬だけ

ここ最近なかったが、昨日彼女が夢に出てきた。
2人は同じ毛布にくるまっていた。


もう特に執着などなくなったのだが、頻度は減ったとはいえ今でもたまに彼女が夢に出てくる。


何の脈絡もなく、いきなり出て来て少し会話して終わり。


お互いに、
「久しぶり!」
等と言葉を交わすことなく、いつもいきなり普通に会話が始まる。
それはまるでいつも一緒にいるかの如く、ごく自然に。


これって考えてみれば、彼女に出逢って間もない頃に初めて会話したあの時と同じだ。
あの時も初めて2人で会話したのに、何の前置きもなく、まるで昔からの知り合いの様に話し始めたものだ。


彼女に逢えなくなってから、もう6年半経つ。
昔の様な激しい執着心は、今はもうない。
それでも未だに出て来るとは!


もし何処かでばったり逢えたら、夢の時みたいに普通に話せるだろうか。


彼女に逢えなくなってしまった今、ツインレイに関するネタが書けなくなってしまった。
にもかかわらずコメントをくださる方や、
“Nice!”
をくださる方、ありがとうございます!


これからも何か思うことがあれば書いて行くので、更新頻度が低くて申し訳ありませんが、お付き合いください。

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